石の百年館(1990-2010)
昨日の記事でご紹介した、ふるさと笠間市(茨城県)の「石の百年館」。
PCのフォルダ内を探していたら、4年前に閉館してしまった旧館の写真が見つかったので、古い携帯で撮った粗いものですが、ご紹介したいと思います。
この、旧・石の百年館は、行政による公立の資料館でも、石材業の組合によるものでもなく、なんと!一企業によって設立・維持されていたものでした。
改めて展示内容を思い返してみると、古い道具類や国産の花崗岩のサンプルなどは、自社のリソースや取引先の協力で何とかなったでしょうが、世界各国の石材のサンプルなどは、専門企業などの存在がないと難しいと思われますので、かなり資金を投じたものだったことがうかがえます。
そもそも、写真のように、建物の外壁が総御影石づくり(もちろん稲田石)ですし、バブル期のお金と勢い、そして、稲田の石材産業を明治の創成期から支えてきた企業であるという心意気がなければ、つくることが難しかったと思います。
少しわき道にそれますが、バブル期ということで思い返してみると、80年代後半は、稲田地区全体が、本当に活気に満ち満ちていました。
昼間は、採石場の発破の音が幾度となく地域を揺らし、建築・土木工事に使う山砂を求めて(あまり良い石の出ない採石場では、砂も売り物だったのです)、狭い1車線の県道を大型ダンプが行き交っていました。
また、夜は、昼間だけでは仕事をさばききれない石屋さんから、職人の槌音や石を切る大きなカッターの音が、遅くまで響きいてきました。
そんな状況なので、腕のいい石工さんなら、自分で仕事を取ることもそう難しくはありません。うちの父は、地域1、2番手の大きな石材会社の職人でしたが、同僚には、独立して自分で石材店を営む人が何人も出ました。
そうした、隆盛を誇った産業、しかも、たんに栄えただけではなく、明治から昭和の名建築を彩った稲田石の歴史を知ることができる場として、旧・石の百年館が有していた数々の資料や工具類、貴重な石材サンプルを引き継いだ新たな資料館が、「公立」で復活したこと自体は、本当に喜ばしいことです。
ただ、それだけでは、地域の歴史を次世代に引き継ぐための取り組みとしては、まだ「7割方」といったところかと思います。
幸い、戦前の、機械などがあまりなかった時代の山の男、匠たちから直接学び、昭和後半の賑やかな時代を担った方々がまだ健在です。小規模な事業者が多い石材業では、文書記録的なものがなかったり、今後散逸していく事が考えられますので、今のうちに生の声を収集して、オーラル・ヒストリーをまとめることも必要ではないかと思います。
(以下、旧・石の百年館のご紹介) 2008年10月の写真
敷地の入り口にある表示ももちろん稲田石

建物も稲田石(表面加工や積み方も技法が凝らされています)

壁に、世界各国の代表的な石材のサンプルが展示されています。とてもカラフル

稲田石をはじめ、国内外の多様な花崗岩(御影石)の銘柄が一堂に

同じ稲田石でも、表面加工の仕方によって、だいぶ雰囲気が変わります①

同じ稲田石でも、表面加工の仕方によって、だいぶ雰囲気が変わります②

石工だった父が、磨きについて妻の母に説明 (妻の両親の稲田訪問の際の写真なので)

石切場や加工場から駅までの輸送に使われたトロッコなど

敷地内を流れる沢まで立派な石垣で覆われていました

これらのほか、石切り場や石材加工の現場を記録した明治大正期の貴重な写真、稲田石を使った著名建築物の写真などのパネル展示も充実していました。
新しい「石の百年館」を訪ねるのが、今から楽しみです。
PCのフォルダ内を探していたら、4年前に閉館してしまった旧館の写真が見つかったので、古い携帯で撮った粗いものですが、ご紹介したいと思います。
この、旧・石の百年館は、行政による公立の資料館でも、石材業の組合によるものでもなく、なんと!一企業によって設立・維持されていたものでした。
改めて展示内容を思い返してみると、古い道具類や国産の花崗岩のサンプルなどは、自社のリソースや取引先の協力で何とかなったでしょうが、世界各国の石材のサンプルなどは、専門企業などの存在がないと難しいと思われますので、かなり資金を投じたものだったことがうかがえます。
そもそも、写真のように、建物の外壁が総御影石づくり(もちろん稲田石)ですし、バブル期のお金と勢い、そして、稲田の石材産業を明治の創成期から支えてきた企業であるという心意気がなければ、つくることが難しかったと思います。
少しわき道にそれますが、バブル期ということで思い返してみると、80年代後半は、稲田地区全体が、本当に活気に満ち満ちていました。
昼間は、採石場の発破の音が幾度となく地域を揺らし、建築・土木工事に使う山砂を求めて(あまり良い石の出ない採石場では、砂も売り物だったのです)、狭い1車線の県道を大型ダンプが行き交っていました。
また、夜は、昼間だけでは仕事をさばききれない石屋さんから、職人の槌音や石を切る大きなカッターの音が、遅くまで響きいてきました。
そんな状況なので、腕のいい石工さんなら、自分で仕事を取ることもそう難しくはありません。うちの父は、地域1、2番手の大きな石材会社の職人でしたが、同僚には、独立して自分で石材店を営む人が何人も出ました。
そうした、隆盛を誇った産業、しかも、たんに栄えただけではなく、明治から昭和の名建築を彩った稲田石の歴史を知ることができる場として、旧・石の百年館が有していた数々の資料や工具類、貴重な石材サンプルを引き継いだ新たな資料館が、「公立」で復活したこと自体は、本当に喜ばしいことです。
ただ、それだけでは、地域の歴史を次世代に引き継ぐための取り組みとしては、まだ「7割方」といったところかと思います。
幸い、戦前の、機械などがあまりなかった時代の山の男、匠たちから直接学び、昭和後半の賑やかな時代を担った方々がまだ健在です。小規模な事業者が多い石材業では、文書記録的なものがなかったり、今後散逸していく事が考えられますので、今のうちに生の声を収集して、オーラル・ヒストリーをまとめることも必要ではないかと思います。
(以下、旧・石の百年館のご紹介) 2008年10月の写真
敷地の入り口にある表示ももちろん稲田石

建物も稲田石(表面加工や積み方も技法が凝らされています)

壁に、世界各国の代表的な石材のサンプルが展示されています。とてもカラフル

稲田石をはじめ、国内外の多様な花崗岩(御影石)の銘柄が一堂に

同じ稲田石でも、表面加工の仕方によって、だいぶ雰囲気が変わります①

同じ稲田石でも、表面加工の仕方によって、だいぶ雰囲気が変わります②

石工だった父が、磨きについて妻の母に説明 (妻の両親の稲田訪問の際の写真なので)

石切場や加工場から駅までの輸送に使われたトロッコなど

敷地内を流れる沢まで立派な石垣で覆われていました

これらのほか、石切り場や石材加工の現場を記録した明治大正期の貴重な写真、稲田石を使った著名建築物の写真などのパネル展示も充実していました。
新しい「石の百年館」を訪ねるのが、今から楽しみです。
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