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好齢ビジネスパートナーズ 月例朝活(2014.4.6) ~バリアフリー実現の場とし てのFabLab~

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事務局の一端を担っている地域活動団体「 好齢ビジネスパートナーズ 」では、毎月1回・休日午前に、情報交換のための「 みたか朝活 」を開催しています。 もともとは、会の定例ミーティング代わりに始めたものですが、会のイベントに来てくださった方が顔を出してくれたりして、特に積極的なPRをしていないにもかかわらず、毎回新しい参加者を迎えています。 先日の日曜日、4月6日に開催した第12回では、12名の参加があり、半分の6名が初参加でした。 地域活動やコミュニティビジネスに取り組んでいるシニアの方が5名、地域に関心を持つ現役(20~30代)が5名、その中間世代で地域起業や活動の立ち上げを考えている方が2名という、面白い構成でした。 いつもは、ある程度顔なじみのメンバー間での、それぞれの1か月間の活動報告と、それに対するそれぞれのバックグラウンド(世代や仕事)に基づいた多様な意見の交換が主なのですが、今回は、初参加の方から大変気付き、学びの多いお話を伺えました。 その方、国分寺からいらした倉本さんは、 FabLab の普及、具体的には自治体などへの導入提案の活動に取り組まれています。 これには、最近よく唱えられている、地域のものづくり、起業の拠点という視点もありますが、もちろん、たんなる流行に乗った動きというわけではありません。 倉本さんは、事故での頸椎の損傷で、手足に不自由を抱えておられることから、日本の福祉用具の現状に大変な問題意識をお持ちです。 どういう問題があるかというと、例えば「厳格すぎる基準のため、どうしても高価になる」「外国で評価の高い製品でも、審査を通すためのコストが高く、日本に入ってこない」「それらを創意工夫で解決すると、もちろん介護保険の適用にならない」等々…。 そこで、障害を持った方が、その不便を解決するツールを自ら作れる場所、さらには、それをもとに、障害を持った方が起業したり、健常者とのコミュニティを築ける場としてのFabLabというビジョンを掲げてらっしゃるのです。 この新鮮な視点を、一同非常に興味深く伺いました。 また、長くテクニカルライティングのお仕事をされてきたものの、キャリアのスタートはエンジニアであったということで、構想だけではなく、すでにご自身で様々なツールを自作なさっています。 その実例として、

はじめてのおつかい2

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昨日書いた、せがれの「 はじめてのおつかい 」。 実際に見てみたいと思っていましたが、早速私も、せがれの一人でのお買い物を、体験することができました。 昨日の午後は、不安定なお天気のため、せがれと二人、家でゴロゴロ。 で、少し晴れてきたので、近くの酒屋さんにお菓子を買いに行くことにしました。 私がPCに向かっていて、「もう少しでひと段落するからね」と言うと、ここぞとばかりに「じゃあ、一人で行ってこようか?」 少し考えたのち、先日と同じお店ということもあり、思い切って行かせることにしました。 ただ、先日と異なるのは、彼が好きなお菓子を買ってくるというだけではなく、私のおつかいを含んでいること。 ちょうど、茨城のソウルフード「ピーナッツみそ」の禁断症状が出ていたところで、その酒屋さんにはいつも1つ2つ取り扱いがあったので、念のためメモも持たせて送り出しました。 これで、名実ともに、初めての「お使い」です。 そして、先日の相方と同様、道を進んでいくせがれを、ベランダから見守ります。 やはりうれしいのでしょう。こっちに手を振ったりして、ウキウキ気分で歩いています。 そして、道の突き当たりををまがり、酒屋さんへの200メートル弱の道のりのうち、うちから見渡せない1/4の行程へ。 姿が見えなくなった途端、小心者のこちらは、不安でいっぱいです。 改めて、はじめて一人で買い物に行かせられた相方の胆力に感嘆。 3分経過、4分経過、、だんだん心配になってきました。 5分、、、近くの小中学校から聞こえる部活の子たちの大きな声などが、やたら気になります。 6分、7分、、念のため上着を取りにいきます。 8分、これで戻ってこなければ、様子を見に行こうと、上着を羽織って今一度ベランダへ、、、 戻ったところで、、見えました!! 「パパー、買ってきたよ〜!」と、ピーナッツみそを掲げ(笑)、スキップしたり、回転したりしながらこちらへ向かってきます。 今回は、自分のお菓子だけでなく、頼まれた物も買えたということで、非常に満足気でした。 その後、宅急便を出しにその酒屋さんに行き、お礼を申し上げたら、「パパやママと一緒のときよりもしっかりしてるね~」と、褒めてくださいました。 酒屋のおじさん、ありがとうございました! せがれが買ってきてくれ

はじめてのおつかい

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昨日、2014年4月4日の金曜日。 せがれ、4歳10ヶ月にして、はじめてのおつかい記念日になりました。 以前の保育園から我が家までの帰り道には、駄菓子を扱っている酒屋さんがあって、週に何日か、そこでお菓子を買うのがせがれの大の楽しみでした。 でも、新しい園は、以前の園とは反対方向。足を延ばさなければ酒屋さんへは行けません。 で、昨日の帰り道。お店に行きたいと相方にねだるせがれ。 そこで、相方は一計を案じました。 「一人で行けるならお菓子買って来ていいよ」 そこで、いつもなら「一人じゃ行けない」と怖じ気づいたり、「一緒じゃなきゃ嫌なの」と怒ったりするところ、彼は、はじめてのおつかいを選択しました。 (まあ、自分の買い物なので、おつかいじゃありませんが…) 幸い、お店までの200m弱の行程うち、7割近くはうちのベランダから見守れます。 相方が見守る中、道を進んでいくせがれ。 そして迎えた、視界から外れる数分間、、、。 あまり長いようなら、様子を見に行こうと考えていたそうですが、3分ほどの空白ののち、目標・せがれを再捕捉。 大好きなチョコを買って、とてもうれしそうに帰ってきたそうです。 私も見たかったな~。 はじめてのおつかい、テレビカメラを持った隠密通行人を仕込まなくても、完遂できるものですね(笑) (追記) はじめてのおつかいというと、某社のテレビ番組も好きですが、幼い頃に読んだこの絵本が懐かしく思い出されます。 今、AMAZONで検索して初めて、この本と自分が同い年であることに気づきました。

石の百年館(1990-2010)

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昨日の記事 でご紹介した、ふるさと笠間市(茨城県)の「 石の百年館 」。 PCのフォルダ内を探していたら、4年前に閉館してしまった旧館の写真が見つかったので、古い携帯で撮った粗いものですが、ご紹介したいと思います。 この、旧・石の百年館は、行政による公立の資料館でも、石材業の組合によるものでもなく、なんと! 一企業 によって設立・維持されていたものでした。 改めて展示内容を思い返してみると、古い道具類や国産の花崗岩のサンプルなどは、自社のリソースや取引先の協力で何とかなったでしょうが、世界各国の石材のサンプルなどは、専門企業などの存在がないと難しいと思われますので、かなり資金を投じたものだったことがうかがえます。 そもそも、写真のように、建物の外壁が総御影石づくり(もちろん稲田石)ですし、バブル期のお金と勢い、そして、稲田の石材産業を明治の創成期から支えてきた企業であるという心意気がなければ、つくることが難しかったと思います。 少しわき道にそれますが、バブル期ということで思い返してみると、80年代後半は、稲田地区全体が、本当に活気に満ち満ちていました。 昼間は、採石場の発破の音が幾度となく地域を揺らし、建築・土木工事に使う山砂を求めて(あまり良い石の出ない採石場では、砂も売り物だったのです)、狭い1車線の県道を大型ダンプが行き交っていました。 また、夜は、昼間だけでは仕事をさばききれない石屋さんから、職人の槌音や石を切る大きなカッターの音が、遅くまで響きいてきました。 そんな状況なので、腕のいい石工さんなら、自分で仕事を取ることもそう難しくはありません。うちの父は、地域1、2番手の大きな石材会社の職人でしたが、同僚には、独立して自分で石材店を営む人が何人も出ました。 そうした、隆盛を誇った産業、しかも、たんに栄えただけではなく、明治から昭和の名建築を彩った稲田石の歴史を知ることができる場として、旧・石の百年館が有していた数々の資料や工具類、貴重な石材サンプルを引き継いだ新たな資料館が、「公立」で復活したこと自体は、本当に喜ばしいことです。 ただ、それだけでは、地域の歴史を次世代に引き継ぐための取り組みとしては、まだ「7割方」といったところかと思います。 幸い、戦前の、機械などがあまりなかった時代の山の男、匠たちから直接学び、昭和後半の

石の百年館 開館

2013年度最終日は、 せがれの保育園の閉園 、 お世話になってきた産科・小児科の閉院 と、寂しい出来事が重なりました。 でも、年度の変わり目は、新しい出会いや物事の始まりがの時期でもあります。 そして、生まれ故郷から、うれしいニュースがひとつ、飛び込んできました。 「石の百年館」開館のニュースです。 ≫ 東京新聞 「 稲田石の歴史紹介 笠間市が新「百年館」を開館 」 ≫ 茨城新聞 「 稲田石の歴史紹介 笠間、資料館が移築開館 」 私の故郷の、茨城県笠間市。 観光地でありながら、知名度がまだまだではありますが、知ってくださっている方は「笠間焼」「稲荷神社」といったキーワードが思い浮かぶことと思います。 でも、市西部の稲田地区は、日本の近代化を支えた 花崗岩(御影石) である「 稲田石 」の産地・加工場という特色を持っているのです。 普段、周りの人たちに「笠間、笠間」とPRしまくっている私ですが、生まれ育ちはこの稲田地区でして、三鷹に移り住むまでは、「笠間人」ではなく「稲田人」というアイデンティティが強かったですね。 なにせ、小中学校の同級生の親のうち、半分くらいは石材会社の経営者か職人でしたし、私の父も、地域で一番大きな石材会社で働いていました。 小学校時代などは、時まさにバブル!、「笠間焼?観光?笠間の財政は稲田の石材業が支えてるんだ!」という気概に満ち満ちていましたね。 でも、90年代半ば以降、建築需要が減って、大規模な工事に対応できる大きな会社がダメージを受け、墓石など中心に扱う中小・家族経営の石屋さんも、外国産の安い石材の流入で、少しずつ減っていき、産業としては往時の10分の1以下の規模(※)になってしまいました。 しかも、笠間焼のようなアートな側面を持つ「工芸品」と異なり、あくまで「地場産業」にとどまるものであったため、産業規模の縮小とともに、稲田石を誇る地域の気概も、しぼんでいったように思います。 そんな中で、ある石材会社が設置していた資料館「石の百年館(旧)」が、私にとって、故郷の誇るべき歴史を再確認するための、よすがとなっていました。 「あそこに行けば、石の歴史に触れられる」「笠間を訪れてくれた人をあそこに連れて行けば、稲田のことを知ってもらえる」という思いですね。 ≫ (参考)旧館の写真が豊富

かかりつけ小児科の閉院

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保育園の閉園 に加えて、昨日(3/31)はもう一つ、せがれがお世話になってきたところとのお別れがありました。 相方のお腹の中にいたたまごのころからお世話になっていた、産婦人科・小児科の上原医院(三鷹市上連雀)。 地域に根差した、素敵なお医者さんです。 実は、妊娠を確認したのはこちらではなく、三鷹・吉祥寺地域では有名な、吉祥寺の 水口病院 でした。 産婦人科の情報をよく知らない中で、とりあえず地域で有名なところに行ってみようと訪ねたのですが、出産記念にフルコースの「セレブレーションディナー」が付いてくるといった路線に、「うちが求めるものとはちょっと違うかも…(汗」と思い、産科探しが始まりました。 評判の高さでは、調布の 飯野病院 を挙げる方が多かったのですが、もう少し近場にないかなと探していたところで見つけたのが、家から自転車で5分ほどの上原医院でした。 WEBサイトもなく、ネット上で見つけた評判も数件ほどでしたが、どれも良いコメントでしたし、何より近いのがいいということで、まずは一度行ってみようということになりました。(実際には、通い始めてから「上原先生のところで出産したのよ~」という知り合いが何人も見つかりました) 一見こわもてな、口ひげが特徴の年配の先生と、にこやかな奥さま(医師免許の掲示は先生のだけだったので、看護師・助産師さんかな?)、やさしい声の受付の方、昔ながらの雰囲気の、安心できる雰囲気に充ちた医院でした。 産前の検診には、ほぼ毎回ついて行ったのですが、エコーで見えるせがれの姿がだんだん大きくなっていくのが本当に楽しみで、うれしかったですね。 小児科でもあったので、待合室に小さい子がいると、「うちもああやって連れてくることになるのかな」なんて思ったり。 もともとは分娩もされていたのですが、我々が通うようになる何年か前にやめてしまっていたため、9か月~出産は武蔵野日赤病院にバトンタッチでしたが、引き継ぎもとてもスムーズでしたし、日赤の方も「上原先生のところから来る妊婦さんなら安心」という感じの対応でした。 そして、まだ生まれて間もない小さなせがれを、初めての検診に連れて行ったときに、先生が「大きくなったな~」とおっしゃったというのが、今でも我が家の語り草になっています。なにせ、何ミリというサイズの頃から診てもらって